自戒を含めて、個人的にコメントをしますと、
会議、討論会の質という意味ではお世辞にもレベルが高いとはいえないものでした。もう、ぐだぐだ感満点。(事例をごちゃごちゃ書きましたがばさっと消しました)
要するに何の問題なのかな。
コンテンツの問題はではないですね。ディスカッションのシードになるような面白いコンテンツはいくらもありました。テーマの問題はあとでとりあげます。基礎知識の問題?そもそもスタンスが違いますから、これが主要な問題とはなりません。むしろそこに大きな問題があると思うのなら、会議の最初に「定義」の議論をやればいいわけですから、必ずしも会議の前提にはなりません。ということは、残るはプロトコルの問題。実に基本的な、低レイヤーの話で、マナーあるいはルールの問題だと思います。
各人がディスカッションの有効性を上げるためには、自分の論点を明確にすることと、参加者、対象者という意味での議場へのリスペクトが前提でなければなりません。もっともわかりやすい表現方法は、論点を引き出す質問(リクエスト)です。伝える目的も当然のことながら、受けとめる、いかに相手の土俵で話を進められるかは、意思伝達の紳士協定です。
質問というリクエストに対し、論点というコンテンツや、さらに意味を明確にするための質問というリクエストがある。必ずしも質問の形式ではなくても、いかに「発展的」なことを提供するかに関心を向けていくことです。
自分の意見を無理やり突っ込む前に、それを話すための導線として、まずなにがしか質問を投げかけ、その回答の是非ではなく、議論の起点とするほうが自浄作用も働くものです。あらゆる事実や意見が連続していく、その要素の連続で、自分を含む全員の認識は新たなステージへと引き上げられる。集まる意味合いというものはそういうプロセスで生まれてくるものだと思います。
ですから、発言はそこでデッドエンドを起こすものではみもふたもない。一方、話をふられたときに挨拶ひとつせずに、笑顔だけでやり過ごしちゃいけません。とりあえず言うことがまとまらないのであれば、せめて挨拶くらいはびしっとお願いしたい。自分のスタンスが他の人から見えるということは、リスペクトしやすくなるということです。それだけでも、よりスムーズな議論に貢献します。
全体としてはどうなのか。
まず、討論の前提を据える部分、また牽引する部分であるところの「テーマ」に問題があることは否めません。あれほど討論会の命題があやふやでは、そのディスカッションというセッションにより、なにを理解、認識しあうのを目標にするのかがスタート時点で見えないのも当然だという部分があります。池田信夫氏はそこに話を戻す努力をしておられたし、村上氏の「思惑3点」に関する発言などは、テーマに関するおいしいネタだったと思います。
このさい、「討論の前提を据えるための討論会」と銘打ち、もっとブレインストーミング的にやるという方法もあったなあと。「このさい交錯するんなら徹底的に交錯し、当事者の意見を好き放題ぶちまけたほうがもっと何か見えたかもしれない。中途半端にリーズナブルだったことが討論会の面白さを減じてしまったかも」とは、討論会後の村上氏との立ち話。前提の部分が弱く始まるのなら、今度はクロージングのプロトコル、つまり結論として課題をどうまとめるかの部分が強くなければならないですけども。
いずれにしても、各人もさることながら、議長さんの仕事っちゃー仕事なんですかね。だとすれば、まずはエリックレイモンドより、田原総一郎、かな。
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