01 June, 2005
ユーザを守る責任とスピード感
ご覧いただければ幸いです。
17 May, 2005
OSSプロジェクトの共感と意欲
発言者の三浦さんの原文では、
「だからこそ、CodeFestを日本で開く応援をしたい、推進派になった。人材育成とか、日本発のOSSとか、コードも書かない人に言われたくはない。一緒に取り組んでいる仲間を増やすこと、同じ空間と時間を共有して、フリーソフトウエアの世界を確かに広げた実感を共有すること、それこそが醍醐味ではないか。 」
人材育成と日本発のOSSが例に挙げられています。これはよく考え抜かれた指摘ですね、要するに誰と一緒に仕事をするか、そこで何を成果として作るか、これをコードも書かない人に言われたくない、と。 仲間と共感でき、そこで意欲的に成果がでることがサイコウにうれしい、と。ここは事実提示です。
すると、コードを書かない人に「言われたくない」ことがあるとすればそれは、開発組織における「共感」や、成果物への「意欲」が度外視されるケースだということでしょうか。(小飼さんの「コードだけでOSSの世界が回ると思ってんのか」は、そりゃそうなんですが突っ込みポイントはそこじゃない、という感想です。) 昨今の三浦さんのご活躍の現場で、何度となく彼自身が板ばさみに会い、まさに苦悩ゆえの発言だと連想されます。
さて、その「仲間との共感」と「成果物への意欲」は、ものづくりの立場にとっての軸と、要件を出す立場にとっての軸とは表現も価値観も異なります。けれど、そこの問題を提起するのであれば、「その溝はもう埋めたくありません」と言ってしまうと、そこの問題解決による発展の可能性を低めるというリスクがありますね。 共感や意欲を共有できるかどうかは主に、外的要因よりも内的要因のほうが大きいからです。内的要因でシャットアウトされると手の出しようがなくなります。
ですから、OSS開発では、開発者もユーザも一体になってはじめて意欲的な成果物に成長する、というシナリオを目指します。そして、成功しているプロジェクトに「コードを書かないプロデューサ」がいることは珍しくありません。OSSにおいては、なおのこと、「共感」と「意欲」がシンクロしている、あるいはシンクロさせる努力が必要だというわけです。
名前を挙げれば続々と、まさにそういうことをしてきた人たちが存在します。開発者、プロデューサ両方の側面ができる人もいます。マーケティングからやってきて、一生懸命理解しようとしてきた人たちもいます。そういう人たちは、自分ではなく、開発者を中心としたマンダラート、ユーザを中心としたマンダラートの両方を持っているゆえに、各ステイクホルダーとの調整ができるし、期待されているわけです。
OSS開発のステージの大きな変化
ところで、その対立構造とは異なるところで、不思議と同じ論点があり、そこでは相互に議論がものすごく盛り上がっているという動きがあります。 それは「コードを書く人」の中での話です。
いくつもの大きなベンダーやSIerがメインフレームの人間、ミッションクリティカル系技術者を駆り出してまでオープンソース開発セントラル組織を作り、実際にOSS開発を前提に基礎開発をばりばりやっています。この動きにより、OSSとは全く別のところにいた、よく訓練された技術者に新たなステージを与え、しかもこれが少なからぬ意欲を与えることに成功しつつあります。 これらが表面化するのは時間の問題でしょう。
最近、そういう方々を公の場でインタビューする機会がありました。(吉岡さんのレポート参照のこと)「メインフレーム屋」でありながら「OSS開発プロジェクト」をどうしていこうか真剣に考えている人たちです。 彼らの主な特徴としては、OSSの「自由な開発」「自由な意思決定」という部分はよく解らない。しかし、品質や時間の観念、障害解析に関するリテラシーはものすごく高い。これまで閉塞的なところから突然やって来たという意味で仙人のような人たちです。
一方、これまでの「みんなでふもとからコツコツ上がってきた人たち」は、そうした情勢の中で組織的に参入してくる「山から下りてくる仙人」とどのように共感し、分かち合っていくのかが大きなポイントとなります。Linux Kernel MLでのLinusのカーネルダンプ問題しかり、そこには大きなエネルギーがいります。 その議論をデフォルメして言えば、企業のミッションクリティカル要件にとって必要だから、壊れたときのための機能を作らなければならない、という集団と、壊れない良いものを作りたい、そういう作りたいものを作っていこうよ、という集団の議論です。 そこは、理屈よりも「共感」が必要な世界だし、目指す成果への「意欲」の問題でもあります。
それで、両者にある見解の違いを中心に、どうするのか議論が盛り上がっていることは、OSSの発展の歴史において、これまでにないすばらしいことです。この動きはソフトウエア開発モデルの歴史に残ることだと思います。 OSSプロジェクトにおいて新規に関係者が増えていく際に、とにかく議論のテーブルがあることは必須です。
まつもとゆきひろさんがおっしゃるスローガン、「コード書きの気持ちがわからないとオープンソース・エコシステムで成功できない」というメッセージは、孤立ではなく他者との関係で自分の目的を達成したい当事者においては、全員にひとしくあてはまると思います。俯瞰的に自分のポジショニングを確認するんなら、各立場からの観点で出されるメッセージを中心にマンダラートツールで思考をはじめていくと面白いですよ。開発者、ユーザ、支援者のどこをスタートとして書いていくにしても、最終的に大きな一枚の絵に描くにはなにが必要なのか思考する助けになるように思います。
いくつかの立場を理解できる人、客観的な目撃者として指摘できる立場にいる人間は、必然的に注目を免れない傾向があります。開発者自身、あるいはプロデューサ自身、ユーザ自身の意見よりも重く見られるために奥歯にものがはさまってしまう。そういう意味では、今回の件にまつわっては、皆さんストレートで、熱いメッセージが飛び交っています。吉岡さんしかり、きんねこさんしかり・・・、反応リンク集まで。発展を目指して語る以上、議論を恐れてはいけないですよね。これからも、臆せずにメッセージを出していって欲しいですね。
21 March, 2005
街中からスキムミルクが消えた!?
3月17日放送にて最終回を迎えたTBS番組「スパスパ人間学」で、<より効果を期待する方に「乳脂肪を最小限に抑えたスーパーやせるヨーグルト」の作り方>が紹介されたためと思われる。
http://www.tbs.co.jp/spaspa/2005/03/0317/0317.html
もともとそのような細い需要のものを、毎日大量に、2週間にわたって消費するアイデアだよ。それをインパクトたっぷりで情報提供すると、いろんなところが火の車だ。 需要の細い商品に人々が殺到してこういう状態になると、その情報で助かる人は少なくなる。連休中はもろもろ止まるのは必定としよう。しかし、連休明けはどうだろう。「街中から消えた」まんまだと、なんら売上がるどころか、クレームの嵐。(他の乳業系が補完できるのならそれはそれで良いのだろうね)
あわてて起こした増産ラインで需要をまかなえると思った頃にはもしかすると忘れられている。フォローできるはずの番組は最終回で終了しているし!おそろしや、需給悪化懸念は両刃の剣だね。吉と出るか凶と出るか。
スパスパも最終回にかこつけて、キラーネタに需給悪化起こしそうな商品の火種を撒き散らして終わりか?それはちょっといただけないよ。いや、もしや、こういう番組って、生産系との同意はとってあったりするのかな。 どうも健康系のノウハウを提供するテレビ番組って、生臭い。「煽り」だよね、「啓蒙」というよりは。観る側がわかってればいいんだが・・・。終わって正解ってことかな。
(連休明けの乳業系の株価でも眺めるかな。)
19 February, 2005
シフトダウン - downshifting
オーストラリアなどでここ数年、経済研究者たちが「シフトダウン」(翻字:ダウンシフティング downshifting)と呼ぶひとつの現象が観察されている。過剰消費生活をやめるという観点で、経済活動をいわばシフトダウンする傾向だ。「オーストラリアで最もエキサイティングな経済学者」と評されるらしい、クライブ・ハミルトン(Clive Hamilton)によるレポートは、Austiralia Institute (http://www.tai.org.au/)のサイトに見ることができる。
- Getting a Life: Understanding the downshifting phenomenon in Australia February 2004 [pdf]
- Downshifting in Britain: A sea-change in the pursuit of happiness November 2003 [pdf]
- Downshifting in Australia: A sea-change in the pursuit of happiness January 2003 [pdf]
Briton、Australiaときているが、日本については...まだまだだろうね。むしろ過剰消費熱は高まる一方だ。で、このクライブ・ハミルトンの本が邦訳、出版された。nikkei.jpのサイトにそのレビューが掲載されている。
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/rep04/357826
根源的な問題として、「経済成長は人々の生活を豊かにするのか、人間を幸福にするのか」と問いかけ、「豊かさにも幸福にも結びつかないのなら、なぜここまで経済成長を追い求めるのか」と指摘。 「スローライフへのシフトダウン」を提示する。
本書には、「経済成長を遂げたものの、さほど豊かではなく、幸福でもない」事例として、たびたび日本が登場する。
日本のスローライフはとかく富豪系を連想させるが、その手の富豪系温泉暮らしだとか別荘暮らしだとか、いわゆるシフトアップの先にある高級嗜好ではない。むしろ、経済の追求をやめてしまうという意味でのシフトダウンというところにポイントがある。「清貧の思想」方向とも言えるかもしれない。
それにしても、シフトダウンとはうまい。自分の意志を感じるね。私はいまだにミッション乗りだが、峠は5速ではなく2速で走るものだよね。シフトアップよりシフトダウンのほうがドライビングポテンシャルははるかに高いじゃないの。人生のステアリングは低めのギアトルクでいけよということか。
運転はうまくてもヘタだも、スピードの出し過ぎは事故のもと。 もっとも、自分の運転をヘタだと自覚しているドライバーはそれほど多くないそうだけどね。
04 January, 2005
言い伝え「水引いたら高台に逃げよ」の有効性
記事「インド洋大津波 生死分けた逃げ道選び スリランカ・ヤラ国立公園」(Yahoo! News[産経新聞])によると、現場からの逃げ道はジャングルをかき分けた先の岩山と、川沿いの道だけだった。「高い所か、逃げやすさか - 瞬時の判断が生死を分けた」という。
「津波は濁流となって川沿いにジャングルを駆け上ったからだ。海岸から約三百メートルの岩山から見ると、車が浮き、低くなっている川に沿って津波がジャングルの奥深く流れ込んだ」 と同記事。狭くなっていく水路では水流の速度は増すはずだから、それでなくとも途方もない津波から逃れることなどかなうわけもなかった。 逃げやすいところには水も入りやすい。実に皮肉な結果だ。
対照的に、驚異の目で報じられている地域がある。時事通信社の報道によると、震源からわずか60キロのシムル島(Simeulue)では、住民約65,000人のうち津波による死者は、3日までになんと6人にとどまっている。他の地域の犠牲者数からしても驚異的な生存率だ。
なんでも、同島には「海水が引いたら高台に逃げろ」という教訓が伝統的な教えとして住民の間に語り継がれていたそうだ。 この教訓には「スモン」という名前がついている。「海水が引いたら次には必ず大きな波が来る、という教えが昔からある。・・・ 住民らはこの言い伝えに従い、水が引いた時、すぐに丘へ避難したという。」
大変驚いた。相当な人数がかなり早いアクションで行動できたことになる。
しかも水が引いたときに、疑わず、一斉に。
Wikipedia英語版の「2004 Indian Ocean earthquake」 のページからリンクされているニュースソースによれば、後の世代に教訓を残した、シムル島(Simeulue)を襲った1907年の津波は数千人の死者を出したようだ。それだけに、その教訓へのリスペクトは十分あったかもしれない。それでも、1907年の津波を経験した人なんてほとんどいないだろう。それで突然やってきた類例のない津波にそこまで機敏に対応できるだろうか。事実、島民は適確な行動の対価として命を得たのだ。
各新聞の社説、論説は、およそ「警告・警報の流布」か、「国際的救援」をうたうものばかりだ。本当に論じなければならないのは危険を感じた、あるいは警告を受けた時の人間の行動のあり方ではないだろうか。
教訓:
Speed means secure.
逃げやすいところは攻められやすい。