実は私、昔は陸上のりょうちゃんだったのである。とはいえ、小、中学までなのだけれどね。マラソン大会や駅伝では結構ならしたもので、陸上部でもない割にそこそこ早かったのである。というのは親父さんがこれまたスポーツ好きで、それに連れられて走る習慣があったわけだ。中距離どまりではあったが、今でも走るのは好きで、こう、走る習慣がないと何が楽しいのか、一向にわかんないものだそうだが、わたしには理解できる。こう、自分との戦いなのであり、到達する苦労と根性の限界と、達成した喜びを心底感じるスポーツなのである。
そういうわけで毎年正月は恒例の箱根駅伝を親父と並んで見ていたものである。走者も、沿道で応援する人もわたしはTVでしか見たことがなかった。これが今年はなまですよ、なま。待つことおよそ20分(効率いいやん)。
道路は封鎖され、沿道の観衆もしばししーんとする。息を飲んで待っていると、遠くから読売新聞の旗が徐々に、徐々に盛り上がりながら振られてくるのがわかる。一位を決め込んで走ってくる選手が見える。二位の選手は追いつきそうもない距離の開きのあとかけこむ。三位の早稲田は気合い十分、いい感じに追いつきそうな距離で疾走している。こいつは速いな。おいつくんちゃうか。結局ゴール前であと20メートルまで追い込んだそうだ。この最後のスパートでそこまで行った早稲田のアンカーはかっこいい。しかし、ここまでくれば先頭でなくてもいいのだ。わたしにはシード校争いの3,4人の集団にも、最後を走っていた走者も、走者としてのプライドのようなものがある。すさまじい形相で走っているのだが、こいつに「あきらめろ」という観衆はだれもいない。
まさに1、2メートルそこそこの前を走っていくので息遣い、汗、けわしい表情、それでいて勝利を確信した足並みを感じられる。「がんばれー」「はしりぬけー」「いける!いける!」「はやい!」東京駅が見えていようが、まだここからゴールまで5キロくらいあるのだ。今が一番しんどいときだろう。しかしここでなげちゃだめなんだ。そして全員が沿道の大群衆からパワーをもらって走りぬいた。こう、わからないだろうが、わたしは結構熱いものがこみあげてくるのを感じたし、パワーをもらった気がした。レースが終わったころにゴール前の大手町読売新聞前まで行ったが、まだまださめやらぬ大群衆の笑顔や応援団の合奏に、走る人と応援する人の「気」のすさまじさを感じた。