21 March, 2005

街中からスキムミルクが消えた!?

「スキムミルク」。どうも森永製のものが主に流通しているようだ。

3月17日放送にて最終回を迎えたTBS番組「スパスパ人間学」で、<より効果を期待する方に「乳脂肪を最小限に抑えたスーパーやせるヨーグルト」の作り方>が紹介されたためと思われる。

http://www.tbs.co.jp/spaspa/2005/03/0317/0317.html

街中からスキムミルクが消えた!?ヨーグルトはともかく、材料にとりあげられているスキムミルク。最近では、栄養補給に少々、あとはパンを作る人がちょっと使う程度の需要。当然ながらそれにあわせた供給だ。放送当日の夜あたりから品切れが出始め、翌日には陳列棚から一通り消え、やがてスーパー、コンビニ、量販店、いずれも、奥から出してきた在庫でさえ、この連休中にすっかりなくなった模様。 尋ねるも、「次回の入荷は未定」という状態。

もともとそのような細い需要のものを、毎日大量に、2週間にわたって消費するアイデアだよ。それをインパクトたっぷりで情報提供すると、いろんなところが火の車だ。 需要の細い商品に人々が殺到してこういう状態になると、その情報で助かる人は少なくなる。連休中はもろもろ止まるのは必定としよう。しかし、連休明けはどうだろう。「街中から消えた」まんまだと、なんら売上がるどころか、クレームの嵐。(他の乳業系が補完できるのならそれはそれで良いのだろうね)

あわてて起こした増産ラインで需要をまかなえると思った頃にはもしかすると忘れられている。フォローできるはずの番組は最終回で終了しているし!おそろしや、需給悪化懸念は両刃の剣だね。吉と出るか凶と出るか。

スパスパも最終回にかこつけて、キラーネタに需給悪化起こしそうな商品の火種を撒き散らして終わりか?それはちょっといただけないよ。いや、もしや、こういう番組って、生産系との同意はとってあったりするのかな。 どうも健康系のノウハウを提供するテレビ番組って、生臭い。「煽り」だよね、「啓蒙」というよりは。観る側がわかってればいいんだが・・・。終わって正解ってことかな。

(連休明けの乳業系の株価でも眺めるかな。)

19 February, 2005

シフトダウン - downshifting

オーストラリアなどでここ数年、経済研究者たちが「シフトダウン」(翻字:ダウンシフティング downshifting)と呼ぶひとつの現象が観察されている。過剰消費生活をやめるという観点で、経済活動をいわばシフトダウンする傾向だ。「オーストラリアで最もエキサイティングな経済学者」と評されるらしい、クライブ・ハミルトン(Clive Hamilton)によるレポートは、Austiralia Institute (http://www.tai.org.au/)のサイトに見ることができる。

Briton、Australiaときているが、日本については...まだまだだろうね。むしろ過剰消費熱は高まる一方だ。で、このクライブ・ハミルトンの本が邦訳、出版された。nikkei.jpのサイトにそのレビューが掲載されている。

http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/rep04/357826
根源的な問題として、「経済成長は人々の生活を豊かにするのか、人間を幸福にするのか」と問いかけ、「豊かさにも幸福にも結びつかないのなら、なぜここまで経済成長を追い求めるのか」と指摘。 「スローライフへのシフトダウン」を提示する。

本書には、「経済成長を遂げたものの、さほど豊かではなく、幸福でもない」事例として、たびたび日本が登場する。

日本のスローライフはとかく富豪系を連想させるが、その手の富豪系温泉暮らしだとか別荘暮らしだとか、いわゆるシフトアップの先にある高級嗜好ではない。むしろ、経済の追求をやめてしまうという意味でのシフトダウンというところにポイントがある。「清貧の思想」方向とも言えるかもしれない。

それにしても、シフトダウンとはうまい。自分の意志を感じるね。私はいまだにミッション乗りだが、峠は5速ではなく2速で走るものだよね。シフトアップよりシフトダウンのほうがドライビングポテンシャルははるかに高いじゃないの。人生のステアリングは低めのギアトルクでいけよということか。

運転はうまくてもヘタだも、スピードの出し過ぎは事故のもと。 もっとも、自分の運転をヘタだと自覚しているドライバーはそれほど多くないそうだけどね。

04 January, 2005

言い伝え「水引いたら高台に逃げよ」の有効性

年始早々、インドネシア・スマトラ島沖地震のニュースに対照的な2つの記録を見ることができた。

記事「インド洋大津波 生死分けた逃げ道選び スリランカ・ヤラ国立公園」(Yahoo! News[産経新聞])によると、現場からの逃げ道はジャングルをかき分けた先の岩山と、川沿いの道だけだった。「高い所か、逃げやすさか - 瞬時の判断が生死を分けた」という。

「津波は濁流となって川沿いにジャングルを駆け上ったからだ。海岸から約三百メートルの岩山から見ると、車が浮き、低くなっている川に沿って津波がジャングルの奥深く流れ込んだ」 と同記事。狭くなっていく水路では水流の速度は増すはずだから、それでなくとも途方もない津波から逃れることなどかなうわけもなかった。 逃げやすいところには水も入りやすい。実に皮肉な結果だ。

対照的に、驚異の目で報じられている地域がある。時事通信社の報道によると、震源からわずか60キロのシムル島(Simeulue)では、住民約65,000人のうち津波による死者は、3日までになんと6人にとどまっている。他の地域の犠牲者数からしても驚異的な生存率だ。

なんでも、同島には「海水が引いたら高台に逃げろ」という教訓が伝統的な教えとして住民の間に語り継がれていたそうだ。 この教訓には「スモン」という名前がついている。「海水が引いたら次には必ず大きな波が来る、という教えが昔からある。・・・ 住民らはこの言い伝えに従い、水が引いた時、すぐに丘へ避難したという。」

大変驚いた。相当な人数がかなり早いアクションで行動できたことになる。
しかも水が引いたときに、疑わず、一斉に。

Wikipedia英語版の「2004 Indian Ocean earthquake」 のページからリンクされているニュースソースによれば、後の世代に教訓を残した、シムル島(Simeulue)を襲った1907年の津波は数千人の死者を出したようだ。それだけに、その教訓へのリスペクトは十分あったかもしれない。それでも、1907年の津波を経験した人なんてほとんどいないだろう。それで突然やってきた類例のない津波にそこまで機敏に対応できるだろうか。事実、島民は適確な行動の対価として命を得たのだ。

各新聞の社説、論説は、およそ「警告・警報の流布」か、「国際的救援」をうたうものばかりだ。本当に論じなければならないのは危険を感じた、あるいは警告を受けた時の人間の行動のあり方ではないだろうか。

教訓:
Speed means secure.
逃げやすいところは攻められやすい。

31 December, 2004

時系列の節目?

年末に近づくとところどころにアップされる「総括」は読んでいて楽しいですね。私も、いいのが書けるといいんですが、ちょっと書くスイッチが入らないです。 blogで随時時系列の記録を残しているからかな。何か残せたか、何をやりかけか、などを考えたりはしますけど、ここでまとめる気がしない。なぜかしら。

今、なにげなく年末に感じることは、年の区切りがあまり大きな変化に思えなくなってきていることですかね。年賀状は書かないし、帰省もしないのでその分のタスクもありません。

年末だろうが平生だろうが時間軸はシームレスなものですから、それをこつこつ過ごすのが気持ちよく感じてきたんだと思います。てことで、私は年末年始とくにいつもと変わりなく、ちょっと長めの連休、くらいのノリです。 それくらいが心地良いんです。

1985年くらいからの、なにがしかの成果物が世に残っていますが、振り返れば5年ごとに大きく流れに変化があります。 2000年代前半5年は、そこそこスリリングで楽しかったですよ。成行に任せるのは好きではないほうなので、後半の5年もまた、振り返れば大きな変化を感じられればいいなと思います。

2005年以降も、いろいろ一緒にやっていきましょう。よろしくお願いします。

24 November, 2004

足の裏の米粒。

「IT関連の人材」が何かをあえて定義しないにしても、そう呼べる人材が不足しているという感覚は多くの人が持っているようだ。「デキル人いないですかね」「凄腕の人ってどうやって育てるんですか」。あるいは「IT人材の育成ってどうしたらいいですかね」「オープンソースソフトウエア書けるプログラマってどうやって育てるんですかね」と。意見を聞いてくださる方がいることはありがたいが、さてどうしたものだろう。


人材教育?

IT人材育成会社、教育機関は、IT業界で働きたいものの経験がない人間を集め、高額な授業料と引き換えに数年授業を受けさせ、「資格」というシールをペタっと張って人材を「作り」、世に送り出してきた。ところがどうだろう。かつての飛ぶ鳥を落とす勢いも、いまや見る影もない。教材も教師もスタッフもすっかり古びてしまい、卒業生の評判と同期して就職率が激減。特別な成果もミラクルも期待できないため、いまや非常にお寒い位置にいる。


需要の問題?

最近、電車の吊り広告のトピックに、SE、プログラマなどの大失業時代を危惧するものが目に付くようになった。「転職してはいけない。今、あなたはたぶんもらいすぎている」と。なかなか良心的なメッセージだ。雇用促進している会社は、外向けには「不足」といいながら内向きでは「飽和」と言っている。この構造をある程度理解しなければならない。

たとえば、収益を上げている会社がM&Aによる事業拡大というわかりやすい方法をとってくると、拡散の時代から収束の時代への遷移は加速する。そこでは組織の再構築が行われ、バッティングするレイヤーが整理される。もちろん、組織が最適化されると事業は拡大するのでハッピーなわけだ。

そこに「大失業時代」があるとすると、「必要不可欠」ではないレイヤーにもっとも大きな影響があることになる。これまではなんとか仕事のあったのだが、専門性があるわけでもなく、特別伸びるわけでもない、教育会社か企業に「作られた」人材。そのような人たちは「整理」を宣告されると、なぜ自分がそんな目に遭わなきゃいけないのか、さっぱりわからない。また、新たな「シール」を求めて行動する。そして自分を「作ってもらえる」ところを求める。(その新しい「シール」は、「社長」だったりする場合もある)


コミュニケーションスキル?

そんな状況の中、「コミュニケーションスキル」という、IT関連の知識とは関係ないことを教える人たちが現れた。「コーチング」「プレゼンテーションスキル」とかそういうものもこの類だ。IT業界にまともに日本語を話せる人が少なすぎるのは事実なのでありがたい部分もあるが、そうかと言って技術者が修練を怠りつつ口八丁、というのは問題だ。これらは中身あってこそ意味があるものなので、中身の詰まった人間を生産する手段ではない。

突っ込まれるとさっぱりわからない言葉を、さもわかったようにあやつるプレゼンテイターって増えているが、名刺をもらうと「シニアSE」とか書いていたりするから失笑モノだ。言葉遊びで煙に巻くとお金が出てくるほど、ユーザ企業は無知ではなくなってきている。


資格?

「スキルを身につける」という言葉に摩り替えて、ぱっと見てわかる差別化、競争力をわかりやすく身に着けることにエスカレートする。わかりやすい解決策としてもたらされたのが「プロフェッショナル資格」。日本にどれくらいあるんだろう、昔から結構資格マニアっているよね。

しかし、他の業界の「資格」は「免許」の意味合いがあることが多いのに対し、IT業界はそうではない。これを競争力確保という観点では何ももたらさない、むしろ消費者の貯金を食いつぶすだけのものになっていることに早いところ気がつかなければならない。

「試験」にいいところがあるとすると、未知の、特定のテーマに関して十分に勉強する際の習熟チェックに使うという部分だろう。資格試験は、勉強意欲の里程標になってくれるかもしれない。TESTはTESTであってそれ以上でもそれ以下でもない。IT資格、Ph.D、MBA、あるいはどんな資格をとることを目標にしていても、それそのものは自分をその道のプロフェッショナルにしてくれるわけではない。

ある賢い人が言ったんだそうだ。
「資格とかけて足の裏の米粒ととく。
 取るまでは気になってしょうがないが、取っても食えない。」

はっきり言えば私はプロフェッショナル人材を「作る」方法を知らない。もちろん、これまで学校や先生と呼べる人たちから学んでこなかったというわけではない。結局彼らから私が得たものを説明するとすれば、学んだ内容というより、「学び方」ではないかと思う。そこでは自分を習熟者、プロフェッショナルとして「作ってもらう」ことは完結しない。

自分が「そうなる」と決めて前進している人同士が、相互になにがしかの刺激を与えあうのが、成長できるプロフェッショナルコミュニティの姿だと思う。

"As iron sharpens iron, so one man sharpens another. "
- Proverbs 27:17